最終更新 :
ねこまさむね【公式】
@nekomasamunecom
中尊寺ハス(泰衡蓮)です 昭和25年の金色堂の調査において種子が発見され奥州藤原氏の時代から800年の時を経て一輪の開花に成功した古代蓮だそうです 泥中に根を張りながら泥色に染まらず清く美しい花を咲かせる蓮 極楽浄土にも咲いているといわれる高貴な花 #鎌倉殿の13人
乱会@日曜のみ浮上
@ransedoukoukai
鎌倉殿の13人 第20回
・奥州情勢は複雑怪奇
・善児並の観察眼を持つ牧の方
・静御前のイカれた伴奏を紹介するぜ!
銅拍子の畠山重忠!
「今日のために沢山練習しました」
鼓は工藤祐経!
「最近は鼓の稽古しかしてません」
三浦義村!
「適当に叩いてます」
・紀行常連の松尾芭蕉兄貴
#鎌倉殿の13人
諏岸
@sugishi125
御館が褒めてくれて九郎と一緒に泣いちゃう…と思ったら呪いを残して逝ってしまった😭御館の亡霊の舞、泯さん真骨頂…!奥州の土は義経の爪に残ってるよね…。も~今回ホントしんどい、今年の夏の鎌倉は3年ぶりに海開きするっていうのに、どんなキモチで由比ガ浜に行けばいいんだ。 #鎌倉殿の13人
日野宿発見隊
@hinoshuku
\気まぐれ大河ドラマ紀行②/
日野市程久保(1-749-2)に「かくれ穴公園」という不思議な名前の公園があります。言い伝えによりますと、公園すぐ西側畑の畦にあった赤土の横穴に、九朗判館が奥州に逃げる途中、潜み隠れたそうです(いまは壊されてありません)
#日野 #多摩
#鎌倉殿の13人 #義経 #くろどん
ぴよる
@3pyokkopyokko
『吾妻鏡』文治3年2月10日条
義経が奥州入りした際
妻室男女を相具す(正室と男子と女子の子供を連れていた)
女の子は義経と郷御前と共に自害
男の子は衣川で誅殺されたとも、常陸入道念西(頼朝の妾で貞暁の母の父)に匿われ経若と名を変え後の中村朝定になったとも伝わる
#鎌倉殿の13人
#鎌倉殿の十三人
Reader Store/リーダーストア
@ReaderStore_JP
今夜の舞台・岩手県は"奥州"平泉をはじめ
北条の里、鶴岡八幡宮、京都など
NHK大河ドラマ #鎌倉殿の13人 の聖地巡礼にピッタリ✨
┏━━━━━━━━━━━━━┓
🔥 るるぶ『鎌倉殿の13人』🔥
┗━━━━━━━━━━━━━┛
九郎殿…帰ってきてほしかった😭
#源義経 #菅田将暉 #もはや誰のせい
Tomoko Iwasaki
@hoshiochi
#鎌倉殿の13人 わざと静御前とその子の行く末を自分に聞かせた事もわかった上で自分を信じてくれた秀郷への恩から首を差し出し奥州安堵を願い出る義経。対立しても最大の理解者だった梶原景時に託した鎌倉攻略の策。鎌倉幕府は義経の策通り新田義貞のまさかの海からの攻め稲村ケ崎攻略によって滅びる
髙谷ゆう介
@YusukeTakaya
奥州藤原氏は秀衡の死後、義経の処遇や鎌倉への対応をめぐり、泰衡とその兄弟の争いが起こります。
劇中で善児に討たれた頼衡の他、忠衡も泰衡に討たれます。
そんな忠衡が寄進した灯籠が、宮城県塩竈市の鹽竈神社の境内に今も残されています。
参拝の際はぜひ見てほしいです。
#鎌倉殿の13人
ヤマギヒロ
@yamayama19721
首桶の中には義経の首が、
必ずしもあるとは限らない。
蝉の声が暗示しているように、「義経の首」が届いたのは夏。奥州から鎌倉まで行く間の遺体は傷みが早いので、桶を開けたら大変なことに。
という感じで始まる義経逃亡説を中学の先生から聞いたのを覚えています。
#鎌倉殿の13人
千尋@葵の御所
@tihiro_kamo
本日の大河のサブタイトル、冒頭で奥州帰還かと思っていたら、最後の字幕で「そういうことか!」と目から鱗。
ところで平家滅亡の時は政子が一緒だったけれど、今回は頼朝一人でしたね…「義経」(2005)での中井貴一の静かな涙も悲しかったが、それとは対照的な今回のラストも辛い。
#鎌倉殿の13人
こみんく
@1205_saty
今日のタイトル「帰ってきた義経」。
もちろん首になって鎌倉へ帰ってきたのが1番の意味。
次は大将軍になって奥州へ秀衡の元へ戻ってきた。
さらに農作業にいそしんでいた九郎が、戦の申し子に戻った。
最後は、頼朝にとってのかわいい弟に戻った。
これだけの意味があると考えた。
#鎌倉殿の13人
ひざかり
@asdrasdr19
#鎌倉殿の13人
夜討ちが「兄の策ではなかった」と知った瞬間、義経の中の全ての均衡が崩れる音が聞こえるようだった。義経が守りたかった奥州の秀衡が田中泯さんだった意味、愛らしくも打ちのめされた義経が菅田将暉さんだった意味をとても感じた回だった…
YUI
@YUI_29626262
鎌倉殿の、最後の描写があって、よかった。
物事が進まない苛立ちとかじゃなくて、誰かひとりの人に対しての感情の吐露。
涙にはなってしまったけれど。
今日の、最初の奥州でのやりとりと重なって、九郎殿は本当なら兄にそう労って欲しかったんだろうな、と余計辛くなったけど…!
#鎌倉殿の13人
よっすぃー@歴史垢
@aorin203
殿中での堂々狼藉・善児。
すでに国体を成してない奥州は処断もできない。
策を看破しても行く末にモチベを持てず自滅の道を選んだ義経。
「なんで?」の疑問は出るけど、泰然自若と最期の時を子供のように無邪気に楽しむ義経が切なかった。
そして鎌倉に「帰ってきた義経」
#鎌倉殿の13人
じゅちょまる🐾
@junko_maple
鎌倉殿の13人「帰ってきた義経」
奥州ではなく、鎌倉の兄・頼朝の元に帰ってきた…の意味でしたか!
政治の頼朝と戦の義経、信じ合う兄弟が手を携えて鎌倉を磐石にして行くはずだったのに、それを許さぬ後白河法皇が全てを壊してしまった
今日が鎌倉幕府滅亡の日ということも抑えた脚本、流石でした✨
TSUBAKI【ウルトラポーズで体がよみがえる】
@TSUBAKI90835866
鎌倉殿の13人 ー において、
早くも義経が首になって
しまった😅。
奥州藤原氏を頼って 逃げる
途中で、富樫が設けた安宅の関で取り調べを受ける。
弁慶の機知と勇気に感動した
富樫が、義経と知って逃した
話が伝わる 💫
ぶらこうじ/burakouji-Thinker(公式)
@burakoji_think
しかし、どう考えても、当時はそうなっていく運命だったのかなぁと思う。
現代人が演じ現代風に演出しているが、けして現代の話ではなく、風一つで命の行方が決まった時代。
やはり根源は奥州藤原氏に勢いを生み出せなかった事かと。
生んでれば歴史の1頁に奥州時代が生まれたろうに。
#鎌倉殿の13人
零(かまくらのすがた)
@eorzno13
鎌倉殿20。九郎殿が平泉に戻るが、秀衡は老衰のなか、禍つ死を迎え、遺言で兄弟を引き裂いていく…奥州兄弟を見る小四郎の目の冷たさ。音曲も極める畠山殿に少しやわらぎ…舞により名を取り戻す、静御前。九郎殿を操り、うまく運んだようだ、と呟くまでになった小四郎。
鎌倉殿の深い孤独を…さあ…