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しかかく
@SquareDeerHorn
明智光秀の第二次丹波攻め
波多野秀治に裏切られ、振出しに戻った光秀の丹波攻めだが、天正5年(1577)10月に再開
折しも城主の内藤定政が病死した亀山城を細川(長岡)藤孝親子と共に攻め落とした
この時、光秀は四王天但馬守や萩野彦兵衛といった内藤家家臣を許し、自身の家臣にしている
#麒麟がくる
ともき君
@Mrtomokikun
さぁ、丹波攻めだな。
がんばれ十兵衛。
#麒麟がくる
一二三
@nunonofuku123
明智光秀は滋賀県の坂本城では遠すぎたので、わざわざ亀山城をつくり丹波攻略を行った。なので、大河ドラマ館が亀山にできた。やっと出番。 #麒麟がくる
さまんさ(審神者で司書)
@thavasa1002
修羅の国・丹波の国衆を斬らず、丁重な扱いをすることで、調略を目指す光秀 #麒麟がくる
づ
@I7Z5BKqTS3YB7no
#麒麟がくる
丹波平定に働く光秀
ヴォルケン
@volken_knight
麒麟がくる始まったな。松永久秀は盛大に自害した。それは平蜘蛛を使った光秀への罠にも見える。名物を持つ覚悟か。義昭は備後で文を書き続ける。丹波では光秀は苦戦を強いられている。捕えた国衆を引見する。なんか理屈っぽいこと。取り敢えず処刑する気はないらしい
#麒麟がくる
背徳斎@働くって素敵 いも
@haitoku_orz
土地を支配するのにはそこを知悉している旧支配者を取り込んでしまうのが一番手っ取り早いが、丹波みたいな利害関係が複雑な土地では心服させるのも難しければ調整するのも難しいよな ゲリラになられても困るし(まあ、そのために光秀が任されたんだろう) #麒麟がくる