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kyoko@🦈🦈🦈🦈🦈
@kyoko_naotora
#青天を衝け
本当に。明治編の出来というか明治がどう描かれるのかが全てだと思う。期待してる。マジ期待。
あずま朔太郎|奈良Webディレクター
@vjYlI2ALXY5YgnO
こうみえて幕末明治好きなおいら。
慶喜がハーレー乗ってたとか
不思議で仕方ない。
#青天を衝け
ながす
@mnp_jd
青天を衝け、控えめに言ってめちゃくちゃ面白い。明治編キャラ濃くて好きだな〜
ってか けんいちさんXV(エクシヴ)🌠☀
@sdmnk775
でも岩崎弥太郎も明治18年には死んじゃうんだよなあ
#青天を衝け
於己己
@ushdheygfjfj
明治楽しみ!!!
#青天を衝け
ミモザ
@mimoza_sora07
#青天を衝け
明治政府の人材不足かあ…
教科書だけでは分からない事が歴史の流れとして教えて頂けて
しかも面白い大河
渋沢栄一あっての新時代
何故あまり知られていなかったか そこが知りたくなります。
薩長じゃないから?
オムライスはケチャップ派🍛🍱🍝
@riceomelet_love
渋沢栄一の活躍ぶりが明治以降も面白い。
#青天を衝け
初級日本歴士
@Wdv1KJuMriZWjtU
改正掛。明治2年、人的統合をもって統合された所謂「民部大蔵省」の大輔(大蔵大輔兼民部大輔)であった大隈重信は、大蔵官僚 郷純造の薦めによって旧幕臣の渋沢栄一を登用しようとしました。だが、渋沢は現状の民部大蔵省のあり方ではとても新しい国家建設に進める体制にはないとして辞退を申し入れま
与力
@zeppekiman
今週の #青天を衝け は明治編のスタートに相応しいリズム感のある話で好き。栄一よりもマジモンのヤバい奴だった伊藤とか、大河でありがちなお偉いさんにマジレス主人公カッケー展開かと思いきや、
伊藤「ここ大蔵省じゃないぞ」
からの土下座とは面白過ぎ。流石にこれは創作だよね?(褒めてます)
オカリン
@Meister_Ryo
青天を衝けの明治新政府メンバーは岩倉具視を筆頭にクセが強め
越前殿が完全に霞む
澤宮千春
@chiharusawamiya
伊藤「何やっとんじゃ!!」
N「渋沢篤太夫改め、渋沢栄一は……」
渋沢「なんでこんなことに……」
N「明治新政府に……出仕」
大隈「だからあっちに行こうと言うたろうが!!」
渋沢「ひと言言えたでしょ!!」
N「明治新政府に!! 出仕!! しました!!」
#青天を衝け
saba
@sabagame
出会いと門出と紀行の静岡猫ハン、と満腹な今回。青天の大隈様が今後のマイスタンダードに上書きされそうな勢い(単純)。明治もいろいろ血みどろだけど、この大河なら凄い景色を見せてくれると信じてるッ。 #青天を衝け
閃光の白猫
@dmm63761
今日の「青天を衝け」を見て昔読んだ司馬遼太郎の「明治という国家」を思い出しました。新政府は維新後の青写真を何ももって無かったことが書かてていて面白かった記憶がある。
ジギタリス
@Jigitoki4N
栄一が新政府に招聘されたのが明治2年。その8年後に嘉納治五郎が東京開成学校に入学し、渋沢栄一から経済学の講義を受ける。見えないところでつながっているこの時代は「いだてん前夜」に当たるんじゃないか
wakas@渋沢栄一
@companyshashi
渋沢栄一はこれから明治新政府でのお仕事が始まるわけですが、ここでまた新しい出会いがあり、たくさんの友だちができます。それがまた民間での活躍につながるので、毎回の登場人物はよく覚えておこう!今日の新キャラだと前島さんとかね♪
#青天を衝け
早田(軍師)
@souden_11
渋沢栄一選手 完全移籍のお知らせ
このたび静岡藩の渋沢栄一選手が明治政府に完全移籍することになりましたのでお知らせします。
本人コメント:旧幕臣・商人の皆さんに大変お世話になりました。この経験を活かし、新政府でも必ず活躍します!今後の静岡藩の発展を応援しています。
#青天を衝け
浮月楼 - 徳川慶喜公屋敷跡 料亭・結婚式場 -
@fugetsuofficial
#徳川慶喜 公は、紺屋町邸に約二十年住まわれましたが、明治二十年になると東海道線がこの近くを通るため、翌年に転居されました。
この地はその後、戸籍役場の共有となりましたが、名蹟保存を条件に市内有力者有志により、庭もそのままに「浮月亭」として明治二十四年に開業しました。
#青天を衝け
ガキ
@gaki_ise
ははははははははは😊
お茶吹きました
今回の流れであそこで笑わせるて、ズルすぎます❗
大河ドラマは明治編は地味になりがちですが、渋沢さんの真骨頂はこれから。
今までを丁寧に描いてからこその、あんな緊迫した場面での“栄一”さんは最高すぎました✨
#青天を衝け
#篤太夫と八百万の神
スケやん('ω'('Θ')'д')
@kyhm1987
#青天を衝け
写真撮影に興じる慶喜。撮影者は弟の昭武。
慶喜の写真好きは明治の世まで続き写真のコンクールに何度も応募している。ちなみに慶喜のひ孫にあたる徳川慶朝氏はプロカメラマン。静岡県在住中に慶喜の撮影した写真は明治の静岡の情景を今に伝える貴重な資料となっている。