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山村純也|らくたび代表
@yamamura_junya
渋沢が西郷吉之助と話す場面。薩摩が日本の中心ではダメなのか?と聞く西郷に、その薩摩の殿様は、それに耐えうる人物かと聞き返す渋沢が鋭かった。
西郷は島津久光では難しいと感じていたし、もし斉彬公が生きていれば、、と内心思っていただろうなぁ。。悲哀を感じたシーンだった。
#青天を衝け
さまんさ(審神者で司書)
@thavasa1002
久光様をオーヨチヨチする大久保さん #青天を衝け
令和の土星人@現場不足
@4568Ts
西郷吉之助は文久2年(1862)、島津久光の勘気を受けて沖永良部島へ流刑となり、その後大久保一蔵らのとりなしによって罪を許され、元治元年(1864)2月28日に鹿児島に帰還、3月14日に京都に到着したばかりであった。#青天を衝け
武田信廉(逍遥軒)
@syouyouken_TKD