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月見
@tsukimi1127
見るべきものをば見つ、の知盛が出てこないのも、源氏方にカメラが向いてるからですね。
でも、波の下にも都はさふらふぞ…たしかに私たち視聴者には聞こえた。
重盛の姿も私たちには見えた。
#鎌倉殿の13人
ロア|ゆっくり民俗学チャンネル
@Yukkuri_lore
@wild_oat_Mugi 出典によって異なる感じですね。『平家物語』では平時子とされていますが、一方、源氏側の書物である『吾妻鏡』や #鎌倉殿の13人 では、伊勢が帝を抱いたとされます。
ミスター武士道
@bushidoh_sb
壇ノ浦の漕ぎ手を射殺したのは、実際は義経の命令ではなく、大勢が決して恐慌状態に陥った平家軍に、源氏軍が追い打ちかけた際に、非戦闘員も含めて皆殺しにした…というのが真相で、義経の命令・作戦ではなかった。と今は言われて言ます。
ただ、非戦闘員を虐殺したのは事実だからね、仕方ないね…
ほし
@hoshistory92
壇ノ浦で飛び込むも、水練の達人だった(太ってたから却って浮いた?)とかで、源氏に捕まり、鎌倉で頼朝と顔を合わせても、死にたくないとばかり訴えて鎌倉を追い出され、っていう、見苦しいものだった。
#鎌倉殿の13人
R4@ウマ娘 駅メモ 大河ドラマ スポーツ
@R432699050
腰越状代筆は宗盛が源氏に一矢報いる最後のチャンスという解釈に目から鱗。
しかし小泉孝太郎@宗盛では真面目に書いて失敗したという解釈にも納得。
#鎌倉殿の13人
がら
@psaria
宗盛はあんなこと言ってたけど、重盛が源氏と融和しようとしても平氏一族は従わなかったと思うなあ #鎌倉殿の13人
岐阜じゃない鶏ちゃん(だけじゃないt
@keichan_ixa
それも確か頼朝から事前の指示事項で『勝手に官位は貰わないこと』が含まれてたはずなのに、無断任官に留まらず、鎌倉に入れず大江広元宛てに送った弁明書(義経の腰越状)で、
・本当は褒めて貰えるはずなのに手柄も無視され…
・検非違使の官位を貰ったのは源氏にとってむしろ名誉な…
#鎌倉殿の13人
にょん
@nyon_nyon_nyoon
アニメ版平家物語では平氏、鎌倉殿では源氏に肩入れするような演出・脚本…かと思ったら、今のところどっちも平氏に直滑降なんですが。辛い。宗盛だって自分のお母様や甥っこの入水見届けてるってのに…。
#鎌倉殿の13人
さゆきび
@sayukibi
那須与一のトレンド入り😆
平家物語での名場面なのでカットは、さみしいですね
与一が弓を射る前に神頼みする際に日光、宇都宮、那須の地名が出ます。
平家の本拠地である福原は、神戸と名前を変えましたけど、未だに栃木県には、源氏の名残があります。
#鎌倉殿の13人
酒上小琴【サケノウエノコゴト】
@raizou5th
義経は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の頼朝を除かなければならぬと決意した。義経には政治がわからぬ。義経は、源氏の御曹子である。弓を引き、天狗と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。……
#鎌倉殿の13人
nekomitona
@mondomondo77
しかし宗盛はなぜあそこで代筆を申し出たのだろうか。親切心、頼朝との仲を裂くつもりでわざとやった、もぴんと来ない。ただ『野蛮』な関東武者、源氏に対する見下し、侮りはあった気がする。小さな悪意と優越感が恐ろしい結果になったことに本人は気が付いてないのがまた… #鎌倉殿の13人
きたきつね☂
@kitakitsune_sp
おすすめトレンドワードになってる。
海の底の民は浮上するよねえ。
「一蓮托生」な平家・今回の宗盛と源氏との対比よ
#平清盛
#鎌倉殿の13人
ちゃき
@chaki_kirigakre
この先私は誰と戦えばよいのか。私は戦場でしか役に立たぬ。
この場面の義経、自らが産み出された意味を悟っているサイボーグのようで。
鎌倉に戻れなくても京の都で源氏の名に恥じぬように生きる。
この場面、誰が為に這って手習いをし、長久を願った上総介広常の献身のようで。#鎌倉殿の13人
ららら☆888
@sue_lalala
義経が射殺した漕ぎ手達は当然、現地の漁師達だ。笑われる云々の前に現地の人間達の源氏への恨みは相当だった筈。壇ノ浦では安徳天皇を祀る赤間神宮で年に一度先帝祭が行われて手厚く弔われているけど、幼い帝のいたわしさを除いても、源氏がヒーロー視されないのはそういうトコよね。#鎌倉殿の13人
水崎 春
@7iropengin
自分は戦でしか役に立たないという自覚がある上での「この先私は誰と戦えばいいのか」の言葉、空虚さと重たさが同居している。そこで新たに「京都で源氏のために頑張る」という道を見つけるのはいいことのはずなんだけど、破滅への道なのは全視聴者がわかっている。
#鎌倉殿の13人
道人
@dojindo
「私の戦にけちをつけるのか」…ああ、義経にとっては、源氏の戦でも、鎌倉殿の戦でもなく、戦はあくまで「自分だけのもの」なんだなぁ…と思いました。結果としての勝利は兄上に捧げても、「戦でしか役に立たぬ」…自分が輝ける戦場だけは自分のものなのだ。
#鎌倉殿の13人
ミサト@献血101回目のペーパー猟師
@misato0708
我が家で必修だった武田信玄以外は歴史さっぱり赤点寸前だった自分、鎌倉殿の13人のおかげで「甲斐の武田、源信義ってもしかして武田信玄のご先祖様なのか……?」とググって初めて知ったり武田信玄は源晴信だと知るなどして目から鱗。あの人もその人も源氏だったのか。。。